ニコニコ大会議とMADとお笑いと

※この記事は5年以上前に書かれたため、情報が古い可能性があります

もういい加減タイミングのがしまくりなんだけど、ちょっと気になってるポイントでもあるので一応書いておく。

 先日行なわれたニコニコ動画のイベント「ニコニコ大会議」。いろいろな面で話題になっているんだけど、おそらくネットで一番注目されたのは、会場の質問者が地リアルタイムに中継され、それについて「ハゲ」とかのコメントがつけられたという話じゃないかと思う。それを「新しい体験」と捉える向きがある一方、「あれは単なるいじめ」という話もあったりで意見は賛否両論だった。(どっちかというと否が圧倒的?)

 ただ、あの一連の流れを見ていて思ったのは「MADもやってることは同じじゃないだろうか」ということ。著作権者の作品を無断で作り、著作権者にとっていやがることをやっているという点では通じる部分もあるんじゃないかと感じた。

 よくMADについては「企業の宣伝にもなるんだからいいじゃん」という話を聞くんだけど、それって今回のケースでいうと「ハゲって言われても笑っていなすほうが人格者に思われて得だよ」みたいなもんじゃないだろうか。プラスになるかどうかという事実は別として、それを決めるのは当事者であるべきではないかと思う。

 もちろん企業と個人は法律上からみてもまったく違うものなのでひとくくりにはできないんだけど、そうはいいつつも自分としては共通項があるように思えて興味深かったというお話。あと、対企業だとそうは思われにくいのに、それが人に対象が向くと「事情が変わった」モードになるのも興味深いポイントだなあと思った。似たようなことは画像の無断引用とか文章のコピーとかでもあって、企業をやってる分には皆当たり前のようにやるんだけど、個人を対象にしたとたん火のついたような騒ぎになったりするケースもよく見たりするので。

 話変わってMADについて。ここからは完全に個人の主観なんで正しいの悪いのという話ではないですが、MADってなんとなくはるな愛の芸っぽいなと思った。松浦亜弥の歌と振り付けだけを使って口パクでやるあの芸は、おもしろいんだけど芸としてのクリエイティビティはあまりない。初めて見たときは「そんな芸ありなのか!」と感動はしたけれど、じゃあそれが今後続くであろうお笑いの1つの形にはならないだろうなと。

 それに対して山本高広の織田裕二モノマネは、「織田裕二ってこういうキャラだよね」というのを作り込んでいくあたりが、どっちかというと同人誌文化に近いかなあと。くれぐれも良い悪いではなくて、あくまでお笑いに当てはめてみるとそういう要素が見えるかなと思うだけなんですけどね。

 でもあれか、MAD的な要素でいうとじつはみっちーが最強かも。あれはまさに「福山雅治+アルファ」のMADお笑いだなあ。


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