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  • 岡田斗司夫の「風立ちぬ」評が鳥肌立つレベルで素晴らしい

    ※この記事は5年以上前に書かれたため、情報が古い可能性があります

    こんなエントリー書くくらい、風立ちぬに関する他の人の感想はいろいろと読みあさっていたのですが。

    風立ちぬは他の人の感想が面白い – カイ士伝
    https://bloggingfrom.tv/wp/2013/08/15/11099

    はてなブックマークの人気エントリーにも上がっていた岡田斗司夫の風立ちぬ評がすばらしすぎてもう感動するレベル。息が止まるほど夢中になって読み込んでしまいました。これ読んだらもう自分の中で風立ちぬは区切りがついた感ありです。

    【レポート】『風立ちぬ』は宮崎駿の作家性が強い「残酷で恐ろしくて美しい映画」 – 岡田斗司夫なう。
    http://blog.freeex.jp/archives/51395088.html

    ハイライトと全文の2部構成になっていますが、ハイライトの内容は全文に出てくるので読み飛ばして、【インタビュー・全文】とあるところから読みましょう。風立ちぬに対して素直に「感動した」だけじゃない何かを抱えた人は全員必読のレビューだと思います。

    もう全編にわたって素晴らしいのですが、その中でもとりわけ心に残ったところをいくつか引用にて。

    途中でですねジュラルミン、超超ジュラルミンというのですけど押出材が出てくる。T字型の鋼材なんですけど。それが届いた時に、届いたぞという時にパカッとフタ開けてみるんですけど、それを包んでいる新聞紙は戦争の悪化を告げているんですね。まさに今、中国大陸に日本軍が侵攻しつつあるということを言っている。その包み紙まではっきり描いている。

    中略

    それでフタあけたら中国大陸に日本軍が進出しているというのを二郎は見もせず、がっとはがして中のモノを取り出す。つまりこれは、これらの犠牲の上に中のモノができていて、高いものができて、日本人の生活を圧迫しながらこういうものができて、そういうことに二郎はそんなことに関心がないということを示しているんです。

    この描写は恥ずかしながら映画見ているときに気が付いていなかったのですが、アニメの奥深さを知らされる深いエピソード。実写だったらその辺で買ってきた道具を使うこともあってそれに意味はないけれど、すべてを自分で創造できるアニメだからこそ、その描写1つ1つに意味がこもっているのだなあと。こういう描写が意識的にではなくても潜在的に自分の中に残っていて、それが結果として二郎のキャラクターを印象付けているのかと思うとほんとに恐ろしい。

     「生きねば」というコピーは?
    岡田
    本人が考えたもんじゃないですよ。どうせ鈴木敏夫さんが考えたんでしょう。生きねばは関係ない。この映画はうまく宮崎駿以外の中和剤が入っている。「生きねば」というコピーとかユーミンの主題歌とか。両方とも映画と関係ない。ただあの歌がかかるだけでそういう愛を支えた女の子の話みたいに見えちゃうんです。

    これもほんとにプロモーションの妙だなあと。コピーやユーミンの歌が、残酷で無慈悲だけれど美しいというこの映画をみごとに中和していて、かといって映画を見るとその中和はむしろ違和感でしかなくて悶々とする。あのコピーや歌がなければ、映画を見に行く前の段階ではまた全然違う印象になっていたかもしれないと思うと、映画に人を集めるためのプロデュースとはこういうことなのかなと思い知らされました。

    最初、二郎はお絹という女中がちょっと好きだった。現実の宮崎駿は同じように若いころに若いアニメーターと結婚して息子ができて、息子さん自身の日記によると「子供のころから何も父親らしいことはしていない」と。「あなたはあんな男になっちゃだめ」とか「アニメ作っちゃだめ」とか言われていたんですけど、本当の宮崎駿の人生はあの二郎君で言うと、お絹と結婚して息子ができて、息子と和解ができない。でも本当はこう生きたかったんですね。若くてきれいで命が有限ですぐに死んじゃうような人と結婚して。でアニメばっかり作って「おまえが死んだおかげでこのアニメができたんだよ」とラストシーンで許してくれる。「いいのよあなた家庭をないがしろにしてて」。っていう妄想を重ねているんですけど

    ずっと気になっている女中のお絹、なぜあれを描いたのかがここで一気に腑に落ちました。そうかあれは現実と理想の対比として、現実の相手として存在していたのだなあと。やはりアニメはすべての描写に意味があるのですね……。

    これ以外の部分もほんと全文コピーして紹介したいくらいすばらしい指摘ばかりなので、風立ちぬを見た人にはぜひ一度読んで欲しい。そしてもうこれで風立ちぬの評を追いかける自分の旅も終わりにしたいと思います。

    ちなみに同じタイミングでライムスター宇多丸さんの風立ちぬに関するポッドキャストも聴いたのですが。

    TBS RADIO 8/17 週刊映画時評 ムービーウォッチメン「風立ちぬ」 (ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル) http://www.tbsradio.jp/utamaru/2013/08/817.html

    あまりに岡田斗司夫評が衝撃的すぎる中、「タバコのシーンが問題とか言われてるけど、結核だって俺に伝染すなよ! って思う」という指摘はなるほどと笑ってしまった。確かにタバコの印象強すぎたけど結核患者と同じところで生活するのも当時は大変だったんだろうな。タバコに意識取られるあまりその視点はなかったわー。

  • 風立ちぬは他の人の感想が面白い

    ※この記事は5年以上前に書かれたため、情報が古い可能性があります

    いやーこのために映画見てよかったなあと行っても過言ではないのかも。賛否両論だけではない、その人それぞれの感想がWebのいろいろなところで散見されて、それを読んでふんふんといろんな思いを感じるのが楽しい、むしろ本編よりそっちのほうが楽しいかもしれない。風立ちぬの感想はその人を映す鏡、みたいなところあると思います。

    映画の公開直後、ちょっと面白かったのは「賛成派ばっかりだけど俺否定派なんでいいだせない」という人と、「否定派ばかりだけどおれ賛成派なんでいいだせない」という相反する感想が見られたこと。映画の感想なんで人それぞれでいいじゃんというのはありつつも、今まで説教臭さこそあれど言いたいメッセージは割とはっきりしていた宮崎駿作品としてはやはり異質だったがゆえにこうやって他人の感想気になっちゃうところがあるのかも。サザエさん見てるのになんか俺感想違う! みたいな。

    いろんな場面でさまざまな感想が飛び交う中、やはり論点となりやすいのは主人公と妻の間、そしてそれが一番良く示されているのが結核を煩っている妻の隣でタバコを吸うというシチュエーションなんじゃないかと思いますが、あれ、あのシーンで描きたいこと自体は共感できるんですよね。夫の邪魔になりたくない、夫の仕事をそばで見ていたいという妻と、その妻の思いを断ることができない夫。その2人の間に漂う心の通じ合い自体は美しいものの、そこにタバコを吸うという挙動を持ってきたところが否定意見につながるところなのだと思う。

    あれが「部屋の明かりを消そうとする夫とつけたままでいいよという妻」だったらもっとわかりやすい共感を生んだのだろうけれど、そこに煙草というアイテムを付け加えるあたりが愛煙家たる宮崎駿の思いと、煙草の持つ背徳感、そして独特のかっこよさみたいなものがいろいろ味付けされてるんだろうなあと。煙草嫌いな私ですが、それでも煙草を吸う独特の所作がかっこいいな、っていうあこがれは正直ありますしね。

    もう1つ、これもわざとなんだろうけれども、主人公は最初から妻を気に入ってたんじゃなくて、最初はむしろ女中さんのほうを気になっていて、それを臭わせるシーンもわざとらしいほどに出てくる。単に純愛描きたければあのシーン無駄なのであって、わざわざあの描写を入れてくるということは、主人公は純愛を貫いたわけではないということは明確。そこにまた主人公のエゴが見え隠れするのだろうなあ。

    いろんな立ち位置の感想読むほど自分の感想もまたはっきりするもので、改めて自分は映画や小説はその世界に共感できないと面白さを感じないんだなあと実感した。主人公と妻の関係もまた1つの純愛だとか、当時のご時世だったら戦争だの人殺しだのを考えている余裕はない、っていう感想はなるほど興味深いものの、自分としてはあの主人公に共感できない時点でやっぱり好みではない映画だな、という結論でした。

    宮崎駿最新作「風立ちぬ」見てきた(ネタバレあり) – カイ士伝
    https://bloggingfrom.tv/wp/2013/07/29/10965

    破綻していることが1つの価値になっているのであればそれはまた別の話で、そういう意味で松本人志監督第1作である大日本人は個人的にツボつきまくってるのですが、ああいう映画を映画として捉えないような型破りの作品でない限り、自分はストーリー重視の人なんだなと。

    いろいろ風立ちぬの感想は読み倒してきましたが、一番面白いというか「おお!」という視点だったのはこれ。確かに作品中で帽子が非常にいい演出になっていて、なるほどの着眼点だなあと。

    たき日記: 風立ちぬと帽子
    http://www.takinikki.com/2013/08/blog-post.html

    ちなみに先日「風立ちぬ」の特番で、宮崎駿監督の歴代作品をダイジェストで流していたんだけど、魔女の宅急便までの作品はほんのちょっとのシーンだけでも鳥肌立つくらい感動してしまった。残念ながら紅の豚以降の作品にそういう感動はないのだけれど、これは本当に感動なのか、子供の頃にいい作品として自分の中に刻まれてしまったからだけなのかもちょっと気になった。

    そんなとりとめのない話です。

  • 宮崎駿最新作「風立ちぬ」見てきた(ネタバレあり)

    ※この記事は5年以上前に書かれたため、情報が古い可能性があります

    というか全力でネタバレエントリーなので、まだ映画見てないからネタバレ止めれ! って人はこのあたりでそっとブラウザまたはタブを閉じてしまってください。また、勢い先行で書きなぐるので話がバラバラなかんじになる可能性大ですがそのあたりもお含めおきくださいませ。

    身の回りで賛否両論渦巻いている風立ちぬですが、賛否どっちかといわれれば否ではあるものの、見る人がこの映画をどういう映画として受け取るかでその感想は大きく変わるかなと思った。そういう点ではポニョより全然いいかな。ちなみにポニョの時の私の感想はこちら。

    「崖の上のポニョ」みてきた – カイ士伝
    https://bloggingfrom.tv/wp/2008/08/20/350

    この映画のポイントは2つのエゴだと思っていて、1つは飛行機を作りたい、そのためには戦争に使われる道具であろうとかまわないというエゴ、そしてもう1つは結核を煩っていて病弱な妻を自分の手元に置いておきたいというエゴ。余談ですが本作品は実在する航空技術者の堀越二郎に、堀辰雄が書いた小説「風立ちぬ」を重ね合わせたフィクション作品で、飛行機を作る部分が堀越二郎、病弱の妻と過ごすエピソードが堀辰雄の「風立ちぬ」という構成になっています。

    で、1つの映画作品としてみた場合、2つの話を合わせたせいかそのエゴをうまいこと消化しきれてないというか共感できないなあというのが感想だった。航空技術者としてのエゴは、自分が作り出した飛行機が無事飛んだ! というエピソードの後突如墜落した飛行機のシーンに切り替わり、「誰も帰ってきませんでした……」なんてことを二郎が言うのだけれど、このあたりがなんか中途半端というか、「戦争の道具作ってたってこともわかってるんだよ」っていうエクスキューズに見えてしまった。

    堀越二郎という人についてすごい詳しい訳ではないけれど、飛行機として高い評価を得た「零戦」を生み出した希代の航空技術者であり、そしてその作り出した最高傑作が戦争や特攻隊に使われたというジレンマを持った人物として、戦争の部分が軽すぎたなーと。あれだけ飛行機に夢を持っていた人が最後の夢でちょろっと戦争への後悔を表現するくらいなら、戦争とか関係なくひたすら飛行機開発に従事した、という描き方の方がキャラクターとしては共感できたかなあと。

    とはいえそこは描き方のさじ加減であって、飛行機という人生の夢を追いかけながらもその夢が戦争の道具に使われたという矛盾や悩み自体はきちんと描かれてはいます。その一方でもう1つのエゴである妻の話は、ストーリーの中で妻も納得の上結婚し一緒に過ごすことを選択したとはいえ、飛行機が戦争に使われたと苦悩している主人公の前に、夢の中で亡くなった妻がただただ純粋な女性として主人公を迎え入れるというあたり、「俺の純粋な愛は正しいのだ!」的な監督の思いを強く感じてしまい、エゴに対する責任が一切見て取れなかった。お互いの納得済みとはいえ療養所から飛び出した妻を空気の悪い都会で過ごさせ、あまつさえ妻が「いいの」と言うからと言って肺に悪いタバコを妻の傍でびしばし吸うというところ、感動シーンに見えて個人的にはむしろぞっとする場面でした。

    療養所を抜け出してまで主人公に会いたがっていた妻の病状が思わしくないということを知り2人で暮らす決意をする、けれど彼にとって一番大事なのは仕事であり、思う存分仕事をして自宅に帰ったときだけ妻の相手をする。そんな自分中心の生活を「僕たちは1日1日を大事に生きている」というのだけれど、それは主人公だけであって、ダンナが仕事に言っている間自宅でじっとしているしかない妻にとってそれは大事に生きてはいないよなあ。しかしそんな夫を最後のシーンで妻はすべて受け入れ「あなたは生きて」と夢の中で妻に言わせるあたり、「夫のことだけを思い、夫の幸せこそが私の幸せ」という宮崎駿が望む理想像がそこにはあるのだなと理解するわけですが。

    なんというか、2つのエゴの話を混ぜて1つにした割に混ぜ方があまりうまくいってなかったなというのと、宮崎駿の映画に出てくるピュアヒロイン像が今回の映画ではちょっとずれを感じたなと。ナウシカやクラリスやシータのような純粋ヒロインはその世界ではとても輝くのだけれど、自分の夢が戦争の道具として使われたと悔やみつつも、周りを犠牲にしながら自分の夢をひたすらに貫く主人公を包み込むには異世界過ぎたなあと。

    一方、夢を追いかける主人公とそれを献身的に支える妻というシーンに男女の違いはあれど自分を重ねるというのもわかるところではあるし、宮崎駿という監督の思いや考え、脳内そのまま創出されたという、「宮崎駿が自身を込めた作品」という点では非常に興味深い作品です。おそらくこの宮崎駿の全裸感を高く評価する人も多いのではないかと思うし、そういう点では「うあー宮崎駿の脳内だわーw」という点で痛烈なメッセージ性がありました。ただ、そういうのを抜きとした映画としてはちぐはぐ感が残ったなあというのが個人的見解です。

    しかしながらこれまでの宮崎駿作品に比べ、ラスボスと戦うような山場もなく、息を呑むようなスピード展開があるわけでもないのに、中だるみせずに見せるあたりはさすが巨匠。庵野監督の声は最初に聞いたときは「アチャー」だったけど、妻を失って嘆くときの声はすごく感情がこもっていてとてもよかった。トトロの糸井重里よりもよかったなあ。あと瀧本美織は当然すぎるほど声優声で宮崎駿アニメのヒロインにぴったりすぎた。声優は庵野監督のギャップを気にしなければあとはしっかり豪華に固められていた感じ。

    今までの宮崎駿作品といえばメッセージの見せ方自体は賛否あれど、「生きろ」のようにメッセージの方向そのものは誰もが共感するものであるのに対し、戦争の道具と作り出してしまった、妻の命を短くしてしまってまで2人で傍に居た、という苦悩やジレンマは誰もが共感できるものではなくて、その見せ方が宮崎駿という人の思想をそのまま投影するというピュア過ぎる構成が違和感の原因かな。一方、今までの宮崎駿作品とは明らかに異なる作品であり、宮崎駿の全裸感たるや歴代作品ナンバーワンでなかろうかという点では一見の価値はあるかなと思います。

    そういう意味では映画の見方としてゲドにも似てるかなー。1つの映画作品としてみるか、宮崎駿の息子であある宮崎吾郎と父との確執を投影して見るか、というところで感想に違いが出る的な意味で。

    あと設定が現実のせいか、キスシーンがやたら多いのも今までの違いを感じたところ。キスの音が映画館に鳴り響く宮崎駿作品って初めて見た気がするよw

    殴り書きに近いですがひとまずはこんなところで。

    あ、あとシベリア食べたい。