宮崎駿最新作「風立ちぬ」見てきた(ネタバレあり)

※この記事は5年以上前に書かれたため、情報が古い可能性があります

というか全力でネタバレエントリーなので、まだ映画見てないからネタバレ止めれ! って人はこのあたりでそっとブラウザまたはタブを閉じてしまってください。また、勢い先行で書きなぐるので話がバラバラなかんじになる可能性大ですがそのあたりもお含めおきくださいませ。

身の回りで賛否両論渦巻いている風立ちぬですが、賛否どっちかといわれれば否ではあるものの、見る人がこの映画をどういう映画として受け取るかでその感想は大きく変わるかなと思った。そういう点ではポニョより全然いいかな。ちなみにポニョの時の私の感想はこちら。

「崖の上のポニョ」みてきた – カイ士伝
https://bloggingfrom.tv/wp/2008/08/20/350

この映画のポイントは2つのエゴだと思っていて、1つは飛行機を作りたい、そのためには戦争に使われる道具であろうとかまわないというエゴ、そしてもう1つは結核を煩っていて病弱な妻を自分の手元に置いておきたいというエゴ。余談ですが本作品は実在する航空技術者の堀越二郎に、堀辰雄が書いた小説「風立ちぬ」を重ね合わせたフィクション作品で、飛行機を作る部分が堀越二郎、病弱の妻と過ごすエピソードが堀辰雄の「風立ちぬ」という構成になっています。

で、1つの映画作品としてみた場合、2つの話を合わせたせいかそのエゴをうまいこと消化しきれてないというか共感できないなあというのが感想だった。航空技術者としてのエゴは、自分が作り出した飛行機が無事飛んだ! というエピソードの後突如墜落した飛行機のシーンに切り替わり、「誰も帰ってきませんでした……」なんてことを二郎が言うのだけれど、このあたりがなんか中途半端というか、「戦争の道具作ってたってこともわかってるんだよ」っていうエクスキューズに見えてしまった。

堀越二郎という人についてすごい詳しい訳ではないけれど、飛行機として高い評価を得た「零戦」を生み出した希代の航空技術者であり、そしてその作り出した最高傑作が戦争や特攻隊に使われたというジレンマを持った人物として、戦争の部分が軽すぎたなーと。あれだけ飛行機に夢を持っていた人が最後の夢でちょろっと戦争への後悔を表現するくらいなら、戦争とか関係なくひたすら飛行機開発に従事した、という描き方の方がキャラクターとしては共感できたかなあと。

とはいえそこは描き方のさじ加減であって、飛行機という人生の夢を追いかけながらもその夢が戦争の道具に使われたという矛盾や悩み自体はきちんと描かれてはいます。その一方でもう1つのエゴである妻の話は、ストーリーの中で妻も納得の上結婚し一緒に過ごすことを選択したとはいえ、飛行機が戦争に使われたと苦悩している主人公の前に、夢の中で亡くなった妻がただただ純粋な女性として主人公を迎え入れるというあたり、「俺の純粋な愛は正しいのだ!」的な監督の思いを強く感じてしまい、エゴに対する責任が一切見て取れなかった。お互いの納得済みとはいえ療養所から飛び出した妻を空気の悪い都会で過ごさせ、あまつさえ妻が「いいの」と言うからと言って肺に悪いタバコを妻の傍でびしばし吸うというところ、感動シーンに見えて個人的にはむしろぞっとする場面でした。

療養所を抜け出してまで主人公に会いたがっていた妻の病状が思わしくないということを知り2人で暮らす決意をする、けれど彼にとって一番大事なのは仕事であり、思う存分仕事をして自宅に帰ったときだけ妻の相手をする。そんな自分中心の生活を「僕たちは1日1日を大事に生きている」というのだけれど、それは主人公だけであって、ダンナが仕事に言っている間自宅でじっとしているしかない妻にとってそれは大事に生きてはいないよなあ。しかしそんな夫を最後のシーンで妻はすべて受け入れ「あなたは生きて」と夢の中で妻に言わせるあたり、「夫のことだけを思い、夫の幸せこそが私の幸せ」という宮崎駿が望む理想像がそこにはあるのだなと理解するわけですが。

なんというか、2つのエゴの話を混ぜて1つにした割に混ぜ方があまりうまくいってなかったなというのと、宮崎駿の映画に出てくるピュアヒロイン像が今回の映画ではちょっとずれを感じたなと。ナウシカやクラリスやシータのような純粋ヒロインはその世界ではとても輝くのだけれど、自分の夢が戦争の道具として使われたと悔やみつつも、周りを犠牲にしながら自分の夢をひたすらに貫く主人公を包み込むには異世界過ぎたなあと。

一方、夢を追いかける主人公とそれを献身的に支える妻というシーンに男女の違いはあれど自分を重ねるというのもわかるところではあるし、宮崎駿という監督の思いや考え、脳内そのまま創出されたという、「宮崎駿が自身を込めた作品」という点では非常に興味深い作品です。おそらくこの宮崎駿の全裸感を高く評価する人も多いのではないかと思うし、そういう点では「うあー宮崎駿の脳内だわーw」という点で痛烈なメッセージ性がありました。ただ、そういうのを抜きとした映画としてはちぐはぐ感が残ったなあというのが個人的見解です。

しかしながらこれまでの宮崎駿作品に比べ、ラスボスと戦うような山場もなく、息を呑むようなスピード展開があるわけでもないのに、中だるみせずに見せるあたりはさすが巨匠。庵野監督の声は最初に聞いたときは「アチャー」だったけど、妻を失って嘆くときの声はすごく感情がこもっていてとてもよかった。トトロの糸井重里よりもよかったなあ。あと瀧本美織は当然すぎるほど声優声で宮崎駿アニメのヒロインにぴったりすぎた。声優は庵野監督のギャップを気にしなければあとはしっかり豪華に固められていた感じ。

今までの宮崎駿作品といえばメッセージの見せ方自体は賛否あれど、「生きろ」のようにメッセージの方向そのものは誰もが共感するものであるのに対し、戦争の道具と作り出してしまった、妻の命を短くしてしまってまで2人で傍に居た、という苦悩やジレンマは誰もが共感できるものではなくて、その見せ方が宮崎駿という人の思想をそのまま投影するというピュア過ぎる構成が違和感の原因かな。一方、今までの宮崎駿作品とは明らかに異なる作品であり、宮崎駿の全裸感たるや歴代作品ナンバーワンでなかろうかという点では一見の価値はあるかなと思います。

そういう意味では映画の見方としてゲドにも似てるかなー。1つの映画作品としてみるか、宮崎駿の息子であある宮崎吾郎と父との確執を投影して見るか、というところで感想に違いが出る的な意味で。

あと設定が現実のせいか、キスシーンがやたら多いのも今までの違いを感じたところ。キスの音が映画館に鳴り響く宮崎駿作品って初めて見た気がするよw

殴り書きに近いですがひとまずはこんなところで。

あ、あとシベリア食べたい。


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