風立ちぬは他の人の感想が面白い


いやーこのために映画見てよかったなあと行っても過言ではないのかも。賛否両論だけではない、その人それぞれの感想がWebのいろいろなところで散見されて、それを読んでふんふんといろんな思いを感じるのが楽しい、むしろ本編よりそっちのほうが楽しいかもしれない。風立ちぬの感想はその人を映す鏡、みたいなところあると思います。

映画の公開直後、ちょっと面白かったのは「賛成派ばっかりだけど俺否定派なんでいいだせない」という人と、「否定派ばかりだけどおれ賛成派なんでいいだせない」という相反する感想が見られたこと。映画の感想なんで人それぞれでいいじゃんというのはありつつも、今まで説教臭さこそあれど言いたいメッセージは割とはっきりしていた宮崎駿作品としてはやはり異質だったがゆえにこうやって他人の感想気になっちゃうところがあるのかも。サザエさん見てるのになんか俺感想違う! みたいな。

いろんな場面でさまざまな感想が飛び交う中、やはり論点となりやすいのは主人公と妻の間、そしてそれが一番良く示されているのが結核を煩っている妻の隣でタバコを吸うというシチュエーションなんじゃないかと思いますが、あれ、あのシーンで描きたいこと自体は共感できるんですよね。夫の邪魔になりたくない、夫の仕事をそばで見ていたいという妻と、その妻の思いを断ることができない夫。その2人の間に漂う心の通じ合い自体は美しいものの、そこにタバコを吸うという挙動を持ってきたところが否定意見につながるところなのだと思う。

あれが「部屋の明かりを消そうとする夫とつけたままでいいよという妻」だったらもっとわかりやすい共感を生んだのだろうけれど、そこに煙草というアイテムを付け加えるあたりが愛煙家たる宮崎駿の思いと、煙草の持つ背徳感、そして独特のかっこよさみたいなものがいろいろ味付けされてるんだろうなあと。煙草嫌いな私ですが、それでも煙草を吸う独特の所作がかっこいいな、っていうあこがれは正直ありますしね。

もう1つ、これもわざとなんだろうけれども、主人公は最初から妻を気に入ってたんじゃなくて、最初はむしろ女中さんのほうを気になっていて、それを臭わせるシーンもわざとらしいほどに出てくる。単に純愛描きたければあのシーン無駄なのであって、わざわざあの描写を入れてくるということは、主人公は純愛を貫いたわけではないということは明確。そこにまた主人公のエゴが見え隠れするのだろうなあ。

いろんな立ち位置の感想読むほど自分の感想もまたはっきりするもので、改めて自分は映画や小説はその世界に共感できないと面白さを感じないんだなあと実感した。主人公と妻の関係もまた1つの純愛だとか、当時のご時世だったら戦争だの人殺しだのを考えている余裕はない、っていう感想はなるほど興味深いものの、自分としてはあの主人公に共感できない時点でやっぱり好みではない映画だな、という結論でした。

宮崎駿最新作「風立ちぬ」見てきた(ネタバレあり) – カイ士伝
https://bloggingfrom.tv/wp/2013/07/29/10965

破綻していることが1つの価値になっているのであればそれはまた別の話で、そういう意味で松本人志監督第1作である大日本人は個人的にツボつきまくってるのですが、ああいう映画を映画として捉えないような型破りの作品でない限り、自分はストーリー重視の人なんだなと。

いろいろ風立ちぬの感想は読み倒してきましたが、一番面白いというか「おお!」という視点だったのはこれ。確かに作品中で帽子が非常にいい演出になっていて、なるほどの着眼点だなあと。

たき日記: 風立ちぬと帽子
http://www.takinikki.com/2013/08/blog-post.html

ちなみに先日「風立ちぬ」の特番で、宮崎駿監督の歴代作品をダイジェストで流していたんだけど、魔女の宅急便までの作品はほんのちょっとのシーンだけでも鳥肌立つくらい感動してしまった。残念ながら紅の豚以降の作品にそういう感動はないのだけれど、これは本当に感動なのか、子供の頃にいい作品として自分の中に刻まれてしまったからだけなのかもちょっと気になった。

そんなとりとめのない話です。


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