ソーシャルゲームが胸を張って「世の中の役に立っている」と言うために

※この記事は5年以上前に書かれたため、情報が古い可能性があります

ほんとは巷で言われているソーシャルゲームはソーシャルでもないしゲームでもねーよという立ち位置なのですが、そういう厨二体制だと内容も伝わりにくくなっちゃうのでここはガチャコンプが楽しめるようないわゆるソーシャルゲームをソーシャルゲームと呼称させていただきます。

で、きっかけはこのエントリー。

日本のソーシャルゲーム各社が、メディアで問題が出だした頃から早めに自主規制する一方、「自分たちはこれだけ世の中の役に立っている」ということを胸を張って言えたらよかったのに、と思う。

「コンプガチャ問題」に見る新興勢力の危機管理と矜持 – Tech Mom from Silicon Valley
http://d.hatena.ne.jp/michikaifu/20120511/1336770754

射幸心だのなんだのと難しい言葉がありますが、それだけ夢中になってしまうエネルギーは前向きに活用できないかなーとも思うわけで、思うにソーシャルゲーム各社におかれましてはそういう要素投入しまくった学習ゲームを作っていただけるとよいのではないでしょうか。

英単語ひたすら覚えて戦うバトルゲームとか、日本史に出てくる有名な人物を育成するゲームとか、思わず集めてしまうことが自分の知識や経験になったらそれはきっと喜ばれるよね。関係代名詞をガチャコンプしてみたり、やっぱforeverよりforgoodのほうがかっこいいよねと美しすぎる英単語バトルしてみたり、超能力が使える聖徳太子と周りの敵を無双でなぎ倒せる信長が戦ってみたりとかそういうの。

思うに子供の頃ってすごい無駄なことばっかり覚えてるんだよね。アニメの主題歌とかいまだに歌えたりするし、ウルトラマンの怪獣も一目見ただけで名前覚えてたり、あの頃の記憶っていまだに根づいている。今の子供だって何百体といるポケモン覚えてたりするので、それだけの記憶力を勉強に向けたらすごく頭がよくなれるんじゃなかろうか。

そもそも勉強とかも実際にはゲームっぽい要素が満載で、英単語をひたすら記憶することは魔法や武器を手に入れることに近いし、そうして入手した武器をテストという実践に投入していくことで点数上がったりという結果につながったりもする。もちろん勉強だけがすべてではないのですが、ちょっとゲーム感覚で楽しんでみるといやだったものが前向きに取り組めるってこともあるかなと思います。

ソーシャルゲームについては思うところあるのでまた書こうかなとは思うのですが、すくなくとも遊んでいる人のごく一部ばかりが、人生を狂わせるほど多額の課金をはからずもしてしまうことでビジネスが回ってるってのは、やっぱり胸を張って「素晴らしいコンテンツ」と言えるのかなというのは正直なところ。ぜひともこれまでソーシャルゲームで得たノウハウを活かして、胸を張って「世の中の役に立っている」と言えるようなコンテンツを生み出してほしいと願う次第であります。


ソーシャルゲームが胸を張って「世の中の役に立っている」と言うために” への3件のフィードバック

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