「遅延評価勉強法」について長文いっとくか


 前にからもうとしてタイミング失っていたので、ちょいと勢いで長文いってみる。

勉強が苦手な人向けの「遅延評価勉強法」 : ロケスタ社長日記
http://blog.livedoor.jp/kensuu/archives/50555054.html

 手始めにつっこみポイントは以下の2カ所。

この方法で1ヶ月やってみたところ、5月の模試でいきなり偏差値70くらいに。解けすぎてびっくりしました。さほど勉強したわけでもないので、これはちょっと感動。

 自分も日本史専攻だったんですが、5月頃の模試っておそらく試験範囲がかなり狭いよね。浪人していたということもあって時間は現役より取りやすいこともあり、偏差値は取りやすい時期というのが1つ。

 そしてもう1つはここ。

「試験でとければ内容なんてわからなくてOK」と思ってた日本史ですが、

問題がとけるようになる→理解していく→理解すると興味がでて楽しい→本や小説や漫画などを見たりする→また理解がふかまる

という良循環になったりしていました。今ではすっかり日本史が好きです。

 遅延評価勉強法なる方法で受験勉強を始めたものの、受験の時に高得点たたき出しまくっていた頃にはすでに日本史が好きになっている。

 つまり遅延評価勉強法は、まず勉強をするための導入材としては非常に効果があるものの、そこから理解や興味が深まったからこその成果であって、きっと興味ないまま遅延評価勉強法でしらみつぶしに問題つぶしていっても、すべてを学ぶのは大変なんじゃないかなあと思う訳です。

 ここからちょっと話はずれて自分の受験時代の話。前述の通り私も日本史専攻だったんですが、通っていた予備校の先生がかなりすばらしかった。この人の教えがあったからこそ日本史で点数稼げるようになったなあと感謝しているだけでなく、このときの考え方というのが今も自分の中で非常に役立っています。

 その教えというのは大きく2つあって、1つは「自分を客観的に評価する」ということ。これは予備校全体のスタンスでもあったんですが、「偏差値なんて気にするな」というのが先生のモットーでした。勉強始めたばかりの現役生と1年それなりに勉強している浪人生が一緒に試験受けたところで差がついて当たり前だし、現役生だけにしぼったとしても勉強の進み具合が違えば偏差値に意味はない。ゴールである大学試験に点数がとれていればいいからそれまでは偏差値は無視しましょうという考え。

 ではどうするかというと、「自分が勉強した範囲がきちんとできているかを見る」。試験範囲が平安時代まであっても、自分が弥生時代までしか勉強してなかったら点数低くて当然。ではそのかわり紀元前から弥生時代まできちんとやった中で何点取れたかチェックしようという教えでした。当たり前といえば当たり前なんだけど、受験時代というのは偏差値に一喜一憂してしまいがちなので、この考え方をきちんと貫けるかは結構難しいものです。

 結局のところ遅延評価勉強法ってのは入り口こそ違えど、「好きなところから勉強していく」という考えと、「自分のやった範囲のみを評価する」という点では似ているかなーと思いました。ただ、あくまで一部を学んだり、勉強のとっかかりにはいいんだけど、勉強の対象をすべて理解しようとなるとちょっと効率が悪いのかもしれない。

 そう思わせたのが2つ目の教えで、それは「テーマ史」という考え方。今はどうかわからないけどその頃の日本史はテーマ史がブームで、要は「女性」だったり「貨幣」だったり「宗教」だったりとテーマを絞って出題する方式です。

 先生の教えにより偏差値は低いながらも勉強した範囲はきちんと点がとれているという自信をつけたものの、このテーマ史でその自信がポキンとやられました。女性天皇を順番に並べよとか、日本の貨幣の歴史を順番に説明せよとか、そうやって一部を抽出して出題されるととたんにわけがわからなくなる。自分の中で縄文時代から昭和までを機械的に覚えるあまり、応用力がまったくなかったのであります。

 そこからはテーマごと日本史を別の観点から見てみる、という勉強方法を追加することで、出題方法に左右されない日本史の勉強が進みました。マトリックス的とでもいいましょうか、機械的な暗記はやっぱり理解という点では弱いなあと痛感させられた次第であります。

 勉強方法だけで成果を出さないとあまり説得力ないと思うので一応書いておくと、受験勉強を始めたのは高校3年の時で、それまで授業はほとんど聞かず試験1週間前に初めて教科書を読むようなダメな子でありましたが、1年間で最終的にはセンター9割、大学の過去問も8〜9割は取れるようになってました。マイペースを貫くあまり、12月の時点で日本史の偏差値が30台だったときはさすがに焦りましたけどね……。とはいえ授業中も試験勉強の時間に割り当てて内職していたため、高校の教師からは「受験だけが人生じゃないんだぜ」とイヤミいわれまくりましたよ……。こちとら家計がかかってんだから必死だっつーの。

 そんなグチはさておき、この勉強法が今でも役に立っているなあと思うのは、「周囲に踊らされず自分がどうなのかを客観的に見る」という視点を常に持とうと思えたこと。そして物事はさまざまな視点から見ないと理解が進まないということ。受験のために学んだことそのものは役に立ったとは言いがたいのだけれど、あの受験勉強という関門をくぐり抜けるための努力や方法論というのは今も役立っているなあと思いました。

 しかし少子化の今、受験勉強って昔以上に意味ないのかもしれんね……。大学によってはもう1倍切ってるところもあるらしいですし。受験戦争なんて無いにこしたことはないと思うので、大学にはいりやすくなったぶん、大学で何を学ぶかという点が重視されるといいなあ。と大学でビールの飲み方しかまなばなかったダメ学生としては思いを馳せる訳であります。

 あと該当エントリで述べられている「インプットだけでなくアウトプットも大事」というのは同意であります。友達に教えるのは自分にとっても最高の勉強ですからねえ。

 とまあ長い割にチラ裏なエントリで恐縮ですはい。


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