iPhoneのインターフェイスと直感的と神々のトライフォースと

※この記事は5年以上前に書かれたため、情報が古い可能性があります

 またノープランなタイトル恐縮です。

 というわけでid:ululunがおもろいエントリー書いてたので乗っかりエントリー。どうでもいいけどはてなはIDコールを外部ブログにも公開してほしいなーと思う今日この頃。

「直感的に使える」と思いこませたところ。

iphoneは直感的じゃない。

iphoneが犯したたった一つの間違い – 煩悩是道場
http://d.hatena.ne.jp/ululun/20081105/1225838099

 このあたりは直感的という言葉そのものが主観的なので人それぞれではありますが、ぼくもiPhoneのインターフェイスは直感的ではないと思ってる。といいつつ直感的という意見もまあ理解できて、そこには何が違うんだろうなと思ってたときにふとこのエントリを思い出した。

砂漠の神殿への道を開くには、この「ムドラの書」を手に入れなければなりません。しかし、僕にはどうしてもその方法がわかりませんでした。 ずばり正解を書くと、「ダッシュで本棚にぶつかる」ことで入手できるんですが、自力で解決しようと思っていた僕は、1年近くもこの箇所で足止めされてしまうことになります。(結局、根を上げてネットの攻略情報に頼ってしまいました)

『ゼルダの伝説 神々のトライフォース』の難易度は限界値?:Runner’s High!:So-net blog
http://loderun.blog.so-net.ne.jp/2008-09-12

 僕の中で神々のトライフォースというのは歴代ゼルダの中で謎解きが完璧に近い作品という認識だったんだけど、なるほどこういう風にとらえる人もいるんだなあと思ってた。で、この感覚の違いがiPhoneでいうところの「直感的」につながるんじゃないかなあとふと思った。

 神々のトライフォース略して神トラには、ボタンを押しっぱなしにすることでダッシュでき、そのダッシュ機能で壁にぶつかることで本が落ちてくる。その操作自体はまったく明示されてないんだけど、ダッシュしてぶつかると本が落ちてくると言う一連の行動は「なるほど!」と腑に落ちやすい操作に思える。さすがにここで1年つまるとその発想はちがうとはおもいますが。

 iPhoneの操作体系もそれに似ていて、2つの指で画面を開くようにしてやると拡大、という操作は、実際にやってみるとなるほど納得できる操作なんだけど、ではそれを最初から想像できるか、という意味では結構難しいのではないか。その操作と操作によって起きる結果が結びつきやすいので直感的と思うんだけど、そもそもの操作方法を思いつかない人には決して「さわっただけでわかる操作」ではないよなあと思うのでありました。

 実体験でいうと、以前に居酒屋で初めてiPhoneをさわる老婦人が居て、その人が「あらこれがうわさのやつでしょ!さわらせて!」といって一生懸命さわってたんだけどまったくもって使い方がわからず、隣でどうやらIT詳しげな感じの老紳士が「キミがそうやって操作わからない時点でこれは使いやすくないんだよ」と突っ込んでたんだけどあれは見事だったなあと未だに思う。

 直感的という言葉の解釈にもよるとは思いますが、それが先天的に理解できる操作体系というのであればそれはiPhoneには実は結びつかない気がする。予備知識まったくない人があれを渡されてもそうとうオタオタするだろうし、実際にそういうケースは結構目の当たりにしてる。むしろそれなりに使いこなせる人はどこかでiPhoneの知識を仕入れている人が多い気がしますよ。まあソースは俺なんで単なる戯れ言ですけどね。


iPhoneのインターフェイスと直感的と神々のトライフォースと” への5件のフィードバック

  1. ピンバック: 頭ん中
  2. 一年詰まった者です(笑)。ご紹介ありがとうございます。

    当時の僕には、あの「ダッシュでぶつかった衝撃で本が落ちる」という謎は、完全に盲点でしたね。
    だってあの本棚、爆弾でも微動だにしないんですよ?

    もちろんこれはゲームですので、ある程度のご都合主義は許されるべきなのでしょう。しかし、「操作によって起きる結果が結びつきやすい」という定義で言えば、あのムドラの書の謎は今でも「反則」だと思っています。

  3. コメントありがとうございます。

    一応上でもちょこっと書いてますが、1年経ってもわからなかったものはさすがに納得は行かないと思うんですね。それはたぶんiPhoneの操作が1年間わからなかった人も同じ話で、上で言いたいことというのは、操作の後に納得がいくとそれは直感的と言われやすいんだろうな、という話です。

    直感的はもう個人によるものなので、あのゼルダの謎が誰にでも直感的というつもりはなくて、すくなくとも自分にとっては操作の後に起きた本が落ちてくるという流れが直感的という理解になって、人が直感的を理解するときはそういうことなんだろうな、と。

    ちなみに本筋のゼルダですが、どこかでダッシュを事前に習ったり、それっぽい発言ってありませんでしたっけ? もうすごい昔のことで覚えてはいないんですが。余談ですが僕の好きな謎は上のフロアから石を落として下のフロアで使うダンジョンです。

  4. iPhoneの件は個人的にわかりませんので、あくまで「ゲームの難易度の妥当性」という観点から書かせていただきます。

    >どこかでダッシュを事前に習ったり、それっぽい発言ってありませんでしたっけ?

    神トラでのダッシュは、第一の神殿クリア後に長老からブーツをもらうと可能になります。その際に、「Aボタンを溜めてから離すとダッシュできます」というガイダンスを聞くことができます。ただし、「ダッシュの衝撃が何かの役に立ちますよ」というヒントは一切出てきません。

    神トラって、任意にジャンプができなかったり、アイテムが無いと小岩を持ち上げたり川を泳ぐことすらできなかったりと、行動の制約の上にゲームが成り立っています。
    それを踏まえたうえで、「上のフロアから石を落として下のフロアで使う」というのは物理法則的に理解できるんですが、「ダッシュの衝撃で本が落ちる」というのはどうしても腑に落ちないんですよ。
    繰り返しになりますが、爆弾ですら微動だにしない本棚が、何故にダッシュでぶつかると揺れるのと。それなら、爆弾で崩れる壁はダッシュでも突き破れるはずですよね?(笑) 明らかに論理の飛躍があるんです。

    そういうわけで、「図書館のムドラの書」は、あの作品を通して最も異質な謎解きだと個人的には感じました。
    ただしblogの方でも書いたとおり、この感想はあくまで最近にプレイしたからこそ不満に思ったのであり、「神トラがSFCで発売された91年と現在とでは“難易度”の基準が変わってしまったんじゃないかな?」というのが僕の主張なのです。

  5.  エントリはあくまで直感的云々の話で、神トラの難易度が適正かどうかについてはふれていなかったので、ここで自分の考えを書いておきますね。ちなみに難易度というのはその人それぞれだと思うという点も今回は考慮せずあくまでjぶんの考えで。

     ゲームの世界においては現実世界の物理法則というのはそもそも存在しないものであって、たてえば爆弾で本を落とせるんだとしたらそもそも本棚がぶっとびますよね。ゼルダの爆弾というのは爆弾という絵であってもその役割は壊れそうな壁を壊すという役割だけであって、現実世界の理論は持ち込めないものだとおもいます。

     おなじような話でいくと、これは神トラか時オカか忘れましたが、弓矢で反応するスイッチをフックショットで打っても反応しない、っていう場面で自分が悩んだこともありますが、それはもうゼルダというかゲーム全般においてそういうものなので仕方ないなと。

     で、ゲーム的な解法で考えると、前ダンジョンでクリアしたアイテムで先に進めるようになるというのは多くのゲームで使われているでしょうし、ゼルダ自体がそういうシステムの固まりといっても過言ではないとおもいますので、私としては適正な謎ではないかと思います。

     かといってそれが万人に受けるかというとそれは難しいところですが、あの謎がゼルダの中でひときわ浮いているかというとそれはないように思いますよ。

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