ATとRTの微妙な関係

@kohmiもRTを覚えたこのタイミングで、前々から思っていたことをまとめてみる。最初に断っておきますがこれはあくまで個人的な主観であって正しいの悪いのという話ではない点ご理解くださいませ。

先日勢いで書いたTwitterまとめエントリが思いもかけず大変な反響をいただきましたが、実はあのエントリ、そもそも言いたいことを端的に書こうと思っていたら、それを説明するにはあれもこれも、と追加してしまった結果、あれだけ長くなっちゃったんですよね。

How To Use Twitter(Twitterの使い方) – カイ士伝
https://bloggingfrom.tv/wp/2009/07/27/2460

それは何かというと、予想以上に知られていなかった@の仕様なのであります。

先のエントリでも紹介した通り、@を付けたやりとりというのは、発言主とその発言対象をフォローしていないと見ることができません。僕が@kohmiに話しかけたら、僕のIDである@kai4denと@kohmiの両方を知らなければ、自分のところにはその発言が配信されないってことね。

@を付けた発言は、発言者および@で指定したIDの両方をフォローしている人のタイムラインにしか表示されない

一方で、最近Twitter上で注目を集めているのが、こちらもエントリで紹介した「RT」。他の人の発言を引用して自分のところで発言するという「慣習」であります。

  • 他人の発言を自分の発言に引用する慣習がある。これを「ReTweet」「RT」と呼ぶ
  • RTはユーザー間の慣習であって公式機能ではない

@もRTもおもしろいコミュニケーション手段で、RTで影響力をはかるという「ReTweeter」なんてサービスも登場しているんですが、個人的に思うのは、どうもこの@とRTは食い合わせが悪いんではないかということです。

RTの使い方はおそらくいくつかあって、1つは純粋なる引用。例えばホリエモンがiPhone買ったとか、どこかで地震があった、なんて話題はニュースソースを示すという意味でRTは有用に思われます。

一方、コミュニケーションの一環でRTを使う場合があって、誰かへの返事なんだけどそれをRTで返すというやり方。きっと「自分が@をつけて返す相手以外には、それまでの会話の流れがわからないんじゃないか」という気持ちでRT付きReplyをしてるんじゃないかと予想しているんですが、実際にはフォローしてない相手にはそれまでのやりとり自体が見えてないから会話の流れを説明する意味すらないんですよね。むしろRTが付くことで、自分の知らなかった会話が@のルールを飛び越えていきなり飛び込んでくるわけで。

以前のエントリーで@のやりとりをクラスの中での会話に例えていて、@の付く範囲はそれぞれ部活の友達だったり、同じ塾の友達だったりという共通コミュニティにしか届かない、ということを書いたんだけど、@のコミュニケーションの中にRTを持ち込むというのは、この@で作られた人間関係を無理矢理くっつけている感があるのです。

重ね重ねRTがダメとかいう気はなくて、RTのおかげで普段つながっていない知り合いと出会ったり、面白い発言を共有できたり、Twitter上での情報伝達の盛り上がりを体感できたり、というのは実際に魅力的。その一方で、お互い登録していないと発言が届かないという@のコミュニケーション仕様に対して、発言を何でもタイムラインに表示させてしまうRTというのは、なにかこう思想のズレみたいなものを感じてしまうのでした。

RTがこれだけ利用されているのにTwitterの中で公式機能としてサポートされないのは、ひょっとしたらせっかく作った@の仕様を打ち消すような仕組みだからなのかなあ、とか勝手に考えてみたり。あくまでこれは第三者の適当な推測なんで現実は違いますが、鍵付きの発言をRTすること以上に、@とRTの仕様の違いみたいなところに違和感を感じてしまうのでした。

ちなみに、非公開発言をRTしてしまうことについては、そもそもRTがTwitterの公式機能として認められていない以上Twitterが対応すべきことではないし、クライアントによっては非公開発言をRTできない仕様になっているものもあるので、クライアントがなんとかすべき問題かなと思います。自分は鍵付きには鍵付きのメリットがあると思うので、一概にどっちが悪いとは言えないかな。一方、冗談で言ってるんだとは思いますけど、「鍵付きなんかどんどん外しちゃえ」という流れは、「ドラクエ持ってなきゃ遊んであげない」「ベーゴマ持ってなきゃ遊んであげない」みたいなコミュニケーションの狭さを感じてしまって寂しくなる次第であります。

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