「コクリコ坂から」原作読んだ(ネタバレあり)

※この記事は5年以上前に書かれたため、情報が古い可能性があります

トラフィックはさほどではないものの、友人知人には「読んだよ」と感想いただくことが多い「コクリコ坂から」のエントリー。

映画「コクリコ坂から」見た(ネタバレあり) – カイ士伝
https://bloggingfrom.tv/wp/2011/08/14/6032

エントリー書いた後に聞いたシネマハスラーにて「原作とあまりに違いすぎる」という話が気になっておりまして。

TBS RADIO 8/13 ザ・シネマハスラー「コクリコ坂から」 (ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル)
http://www.tbsradio.jp/utamaru/2011/08/812.html

少女漫画かつ打ち切りぎみに終わったという原作をどうアレンジしてあの映画にしたのかなーというのも興味わいてきたので、勢いよく原作も購入してみました。

コクリコふたたび

読み終わって衝撃だったのが原作と映画の違い。いや事前情報でかなりの違いがあることはわかっていたけれど、それにしてもここまで違うのか……、というくらい設定が大幅に変わってました。主人公である海は映画だとおとなしく家事に責任感を持つ少女なんだけど、原作ではむしろ快活で男子も平気でどなりつける一方、料理はメザシばっかり食卓に並び、映画のような「家のことをすべてとりしきっている責任感」みたいなものはない。同居人である北斗さんは原作だと男性で、そもそも海は北斗さんに好意を寄せてたり……、とあまりに違いすぎる設定です。

いちばんの違いは映画の柱であるカルチェラタンは原作には1ピコたりとも出てこないところ。それっぽい学生運動はあるんだけど、それは風間くんたちが麻雀で負けたお金を取り返すために生徒を巻き込んでいるという不純な動機だったりして、映画のような純粋な活動魂は微塵もない。そう考えるとあの映画でもっとも描きたかったのは新たに追加したこのカルチェラタンの下りなのかなーと読んでて思いました。

全体を通じて、作品として面白いかと言われるとムムムとなってしまうところですが、それでも作品としては1つの体を成しているかな。。映画ではまったく触れられなかった海=メルだったり、コクリコ坂とはなんなのかという説明もきちんとされているし、2人の血がつながっているかもしれないと気づき始めるくだりも映画のような唐突さはない。最後に「2人は血なんてつながってないよ」というどんでん返しはやっぱり突然なんだけど、あれはシネマハスラーでも言う通り、打ち切り間近の無理矢理な設定なんだろうなあと思うほど最後の数ページで登場するようなオチでした。

なんというか、あれほど原作を大幅に改変しているのに、打ち切り間際で無理矢理っぽい最後のオチはそのままにしたり、一方で原作だときちんとなされている海=メルといった細かい設定は映画で無視されていたりと、映画化するにあたって「取り出すところ間違ってない?」というモヤモヤ感が残ったというのがファイナルアンサー。原作とは違う作品にしたいと思うあまりいろいろ変えた結果、原作のよさまで失ってしまって共通しているのは単に設定だけ、という作品になっちゃってる。もちろんそれでいい作品になるのならいいのだけれど、これだと原作の意味ほとんどないよな……、と読みながら思ってしまいました。

繰り返しですが原作自体もすごい面白いとまでは言わないものの、作品として言うべきところはきちんと言っているし、登場人物の心情もきちんと描けているしで、最後無理矢理気味におしこまれた出生の秘密解決編をのぞけば作品としては映画よりよっぽどしっかりしている。大好きな美味しんぼで例えてしまうと、最高の大トロ使っても寿司飯がいまいちな握りと、大トロと寿司飯はさほどよくないけど2つのバランスがよい握りだと後者のほうがうまい、みたいなエピソードに近いものがあるかな。ジブリのイラストや宮崎駿の脚本という大トロを活かすにはあまりにも貧弱な寿司飯だったのではないかと感じてしまいました。

そもそも宮崎駿脚本というのが助け船のようで実は大きな負担だったのかもね。あれほど作品を大胆に変えてしまった脚本というのは書き手の思いがたっぷりつまっているだろうし、そうした思いをもたないまま脚本だけ受け取ってもうまくいかないのかもしれない。「魔女の宅急便」をアレンジし、原作とはまた違った名作として書き上げた宮崎駿の脚本というのは、いまはまだ吾朗監督には重すぎたのではないかと思うのでした。

思うに「コクリコ坂から」の楽しみ方は3つあると思っていて、1つは純粋に映画として楽しむ方法、2つ目は宮崎駿と宮崎吾朗の親子物語として楽しむ方法、3つ目が映画うんぬんではなく流行のものを見て言及することが楽しいという方法だと思っているのですが、映画というより「あの原作を宮崎駿がどう脚本にし、それを吾朗監督がどう映像化したのか」というところを楽しむという意味で、この原作は2つ目の楽しみ方をする人にはオススメかなと思いますはい。


コクリコ坂から


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