釣りだと思いつつあまりにもあまりなものでついつい言及してしまう。
任天堂・山内溥氏が守った「ゲームの品格」 :日本経済新聞
http://www.nikkei.com/article/DGXBZO60821020Y3A001C1000000/
とりあえずあまりにもひどいのがここ。
山内時代の任天堂の歴史とは、ビデオゲームが社会と折り合う歴史と言い換えることもできます。売り切りのパッケージ商品を普及させることで、ゲームやりたさに犯罪に手を染めてしまうほど際限なく100円玉をつぎ込んでしまう課金型の悪習を食い止めました。
つっこみポイントはいくつかあって。
- ゲームやりたさで犯罪に手を染めるなんていうごく一部がまるでゲーセン全体のように書かれている
- たいていの子供はお小遣いギリギリの範囲で遊んでる
- ○○やりたさに犯罪に手を染めるなんてテンプレはゲームだけのもんじゃない
それに対して家庭用ゲームはというと
もっとも家庭用ゲーム機の普及は、やり過ぎで勉強時間が減る、目が悪くなる、外で遊ばなくなる、といった批判の対象にもなりました。それでも、親の監視の目が届く家庭用ゲーム機のやり過ぎは、ゲームセンターのそれとは比較になりません。
ここのつっこみポイント。
- 犯罪に手を染めない限りお小遣いの範囲でまかなうしかないゲーセン、自宅内ならいくらでもプレイできてしまう家庭用ゲーム、ゲームのやり過ぎでいったらどっちもどっちじゃなかろうか。目の届かないところでゲームというなら携帯用ゲームだって同じこと
- ゲームやりたさに「ごく一部で」起きうる犯罪としては、パッケージ販売にだって犯罪は勃発してた。ドラクエを恐喝で奪われた事件も新聞を賑わせたし、実際自分の時もドラクエ4を買った帰りに買えなかった大きいお兄さんにからまれたことがある。
確かに任天堂は子供たちのためにいろいろな施策を講じてきたし、子供を大事にしてきたゲーム会社だとは思う。でもだからといって同時に強引な理論によってゲーセンを悪者にしなくてもいいじゃないか。そして任天堂やファミコンだけをまるで純真無垢な正義のように扱わなくてもよいのではないか。僕にはそう思えてなりません。
さらに本筋ではないですが論点のすり替えがすごいなとおもったのはこれ。
壊れにくい安全なゲーム機を作ることにもこだわりました。修理依頼があると、ユーザーが貼ったシールをそっとはがし、修理後の同じ箇所に貼り直して返送するといった心遣いで、お客の心をつかみました。
- シールを張り替えしている時点で修理が発生している事案であり「壊れにくい」の例にまったくなってない
- 安全なゲームじゃなくてそれはユーザーサポートでありマーケティングの話
ソーシャルゲームの課金はたしかによくない問題を起こしたし、そこに一石を投じたのは確かにパズドラだと思うけど、「森下社長が任天堂を尊敬しているから任天堂の品格」って、いやたいていのゲーム関係者は任天堂尊敬しているだろ……。パズドラはたしかにすごい、でもそれはパズドラがすごいんであって別に任天堂がどうこうという話でもない。
新聞のブログだから新聞らしく書けなんてことでもなく個人の意見を表明するならよいですが、無理に他を下げることで対象を上げるような論調は山内さんも喜ばないんじゃないかと思いました。