周囲で評判が良く、母親からも「面白かったわよ」と言われて見てきました。
映画『ミッドナイトスワン』公式サイト|上映中
https://midnightswan-movie.com/
面白いと言えば面白いんだけど見終わった後なんだかしっくりこなくて1日考えてしまい、いろいろ感想とか調べてみてだいぶ腑に落ちたところでネタバレ選択制感想です。
以下感想をサクッと箇条書き、順不同で
- 草なぎ剛の演技が評価高かったけれど正直微妙だった。特に前半、一果の前で泣き出すシーンのわざとらしさ、ふらふらになって通行人とぶつかるシーンでぶつかる前によろけているのがわかりやすすぎるあたり
- ただ後半は割と自然で違和感なかった。それはオーバーリアクションな演技が少ない分雰囲気でいけていたということのような
- 一果を演じた新人の評価も高かったみたいだけど、感情高ぶるシーンとかはちょっと物足りなかった。ただ全体的にキャラが合ってて違和感がない
- 何よりバレエの実力がある。素人目でも綺麗だなーと思わせるうまさだったのでそこの説得力含めトータルでよかった
- 水川あさみの演技が良すぎて嫌いになるというはてな匿名ダイアリーがバズってたので水川あさみファンとして期待してたんだけど、いい意味でいつも通りだった。彼女ならこのくらい余裕でしょうというか、もっととんでもないクズ演技なのかと思ってた
- 冒頭、なぜ一果を迎え入れるの? という違和感はお金欲しさなんだな、というところで納得
- 一果を受け入れるシーン、そこまでそうとうに迷惑がっていたのにあっさり受け入れたな、という印象。自傷行為に自分を重ねたみたいな演出もうちょい欲しいかなとは思ったがまあここはそんなものかな
- 心通じ合っているシーンは作品中一番よかった。ご飯のシーンもいいけど夜一緒に踊るところ
- ただあそこでの老人の発言がタイトルを意識させようとちょっとご都合感を感じた
- りんは自分よりうまくなった一果を憎むのかと思ったら実は好きなのね。そこもちょっとご都合感
- 大会出るあたりから映画の空気が変わり始める
- りんはいかにも飛び降りそうで飛び降りた。ちょっとテンプレ的あざとさを感じる
- りんがどうなったかは描写無いけど、座席に姿が見えたということは死んだということなのかな
- 舞台でうごけなくなり「お母さん」とつぶやく一果。ここが最大の謎
- うごけなくなってお母さんなのか、お母さんの姿を見て動けなくなったのか、映画見ているだけだと前者に見える
- 前者だとすると結局自分のお母さんに会いたかったわけで、唯一実の母親を求めるシーンということになる重要なポイント
- お母さんの姿を見てうごけなくなったのだとしたら、お母さんを見つけたという描写が欲しい
- 結局ここはどっちなのか、インタビューとか調べた方がいいのかな
- 何にせよこれをきっかけに凪沙はタイで性別適合手術を受けるというストーリー最大の分岐点
- でもこれは一果が望んでなかったことだよね。髪を切って男の姿になった凪沙を見て一果が怒ったのは、女性のはずの凪沙が男装して男として働こうとしたことと、自分のために犠牲になろうとしたこと
- 特に後者は母親が酔っ払いながら「あんたのためでしょうが!」と怒鳴っていたところとも重なる
- 身体を女性にしたいというのは凪沙にとっての望みでもあっただろうからそれはいい。だけど一果のために自らを犠牲にするのは一果の望む結末ではなかったはず
- 自宅へ乗り込んだ凪沙を受け入れない家族。これは母親にずっと隠していたことからもそうなるだろうなとは思う
- もみ合った結果服が破れてはだける胸。そんなんで服破けないだろうというここもあざとさ
- そもそも胸出していいの? と思ったらこのブログで指摘されていた。女性の胸が出るならPG12区分のはずがこの映画はG区分らしい
- ということはあの映画で凪沙の胸は女性と思われていないってことだよね
- 結局実家に残る一果。それは生活を考えたら仕方ないけど、そこから卒業式に飛ぶところへ天気の子と同じ違和感。まあ逃げ出した天気の子と、親族に振り回された一果とでは状況が違うけれど
- 久々に会った凪沙は、股間から血を出して目も見えなくなりボランティアの介護を受けるほど変わり果てていた。おそらく幸せではないだろうと思っていたけれど想像以上のショック
- ただこれもいまどきそんな危険な手術はない、ということで批判が起きているらしい。ハフポスの記事参照。
- もういない金魚に餌を与える凪沙。ああそのために金魚を置いておいたのね……。
- でもボランティアが通ってるなら、もう金魚がいないことは教えてるんじゃないかな……。
- 海へ行きたいという凪沙。ここで冒頭の伏線を回収
- 死にに行くのかな、と思ったけど動けずそれどころではなかった
- 最後は眠ったのか死んだのか、描写されていないけど小説版では死んだっぽい
- そこで海に入る一果。自分も死のうとしたのか、海の上の白鳥を見せたかったのか。どっちとも取れるけど後者であって欲しいというか前者だとテンプレすぎる
- 海外留学で一果の背中が凪沙のように見えるという演出はとてもよかった
- 「見ててね」というってことは、療養中ではなく死んだってことなのかな
時系列順に感想書いたけど、全体を通して凪沙をすごく道具として扱っている後味の悪さが違和感だったんだなと理解した。テンプレが悪いとは言わないけど、トランスジェンダーの世界を描きつつもトランスジェンダーを配慮しているわけではなくただ消費している感じ。それがいい悪いとかではなくてただ単に好みではなかった。
全裸監督と同じ監督、と言われると納得する部分はある。ただ、全裸監督は当時のAV業界の視点に立った感じがしたけど、本作でのトランスジェンダーはそうではない印象。
あと、映画の公式サイトでは、一果が虐待されていたという説明になってるけど、あれって虐待なんだろうかなとも思った。もちろん酔っ払って子供を殴ってしまうことは虐待と言えるんだろうけど、それでもあの母親としては一生懸命子供を育てるために働いていて、本人もその環境から抜け出せずに悩んでいる。これだけセンシティブな題材を扱う作品において、あれを虐待とひとくくりにするのもちょっと雑な気がした。
役者も良かったしストーリーもよかったし、すべての映画で救いがなければいけないとも思わないけど、本作だとあまりにトランスジェンダーが映画の道具として消費されているように見えてしまった。とはいえ当事者ではないから実際のところはわからないし、当事者のために作った映画でもないので重ね重ねいい悪いとかではないんだけど、両手を挙げて評価はしにくいな、という感想です。
あとこれは難しい問題だけど、凪沙が一果を慈しむ気持ちは母性というのだろうか。というのも凪沙が一果がかわいく思えるシーンは、男の自分が見ていてもかわいくて抱きしめたく思えてしまうので、それは単に親心であって、女性が持てば母性、男性が持てば父性というだけなのか、それとも母性と父性に決定的に違う何かがあるのか。凪沙が女性の体になりたかった気持ちと、一果をかわいいと思う気持ちは女性だからなのか、それとも別の感情なのか、とか答えのない思いは心に宿りました。
と、気になる点は多いものの、色々考えさせられるという点でとても面白い作品でした。映画館の上映はそろそろ終わりそうですが、配信で出てきたときに興味ある人は見てみてください。