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映画の好みはひとそれぞれですが、マトリックスを当時見て一番感動したのは映像美よりもシナリオのメタ展開。当時のテレビCMはネオとスミスが戦うアクションシーンばかりを宣伝しておいて、いざ映画を見るとそれは虚構の世界であり、現実のネオは坊主頭でプラグにつながれている、という設定に驚くとともに心を鷲掴みにされたものでした。
今作の評価が二分するのは映像を見るかシナリオを見るかによるかなと思っていて、映像については1999年当時こそ最先端の映像だったけど、それから20年近く経ってさまざまな映像手法が確立されたタイミングで、当時のような衝撃を受ける映像を作り出すというのは相当に難しいんじゃないだろうか。
シナリオも同じで、映画だけでなく漫画やゲームでさまざまな神脚本が生まれている中、今までに無い脚本を作り出すというのは相当に難易度が高い。醤油ラーメンしかない頃に豚骨ラーメン作るのと、これだけラーメンスープが確立された時代に新たなラーメンスープ作るのとは訳が違うだろみたいな感があります。
2021年に作るマトリックスは、新しいものを作るのではなく、数ある表現や過去の自分たちが作り出したものの中から何を選択するのか、と言う点で、過去3作をメタに扱い新しいエピソードを生み出したという点で個人的にはとても満足いくものでした。
1に対して2、3はすでに虚構と現実がネタバレしてしまっているので、1で作り出したマトリックスという世界観を深掘りするという楽しみはあったんだけど、ストーリーという意味ではそこまで深みは無かった。映像的に無限スミスは面白かったけど、それも2で見てしまうと3はもういいかなという感じになってしまうし。
余談ですが3でネオとトリニティーが雲の上に飛び出したシーン、なんだよ雲の上いけるなら機械も雲の上いけば太陽発電できるじゃんとおもったんだけど、それは機械にはできない設定とかあったのかな。
話を戻して本作のストーリーの細かいところでいうと、過去3作はゲームの中の話なんだ、という設定にすることで、過去作での虚構と現実という対立を、ゲームと現実という演出で再現。最初にモーフィアスやバッグスが登場しているから「マトリックスはゲームじゃない!」と理解できるのですが、あれがいきなり現実世界から始まっていたら相当に戸惑うのでは。というかそういう演出でもよかったのに敢えてバッグスたちを出してきた狙いとかは聞いてみたいところです。
前半のゲーム設定で心を鷲掴みにされ、飽きるところも無く最後まで夢中になって駆け抜けました。モーフィアスやスミスの役者が違うのも理由付けはされていて一応納得はできたし、メロビンジアンがボロボロになって出てきたり、過去作では小さな子どもだったサティーがキーパーソンとして出てきたりと過去作もうまく取り込んでいる。
そういう点で本作はシン・エヴァっぽさも感じた。完結から20年近く経って過去作を見直し、心を落ち着かせてストーリーを整理しながら続きの話を作り、過去のエピソードを伏線として再利用するあたりのうまさもシン・エヴァっぽい。
過去作で一世を風靡したバレットタイムを自虐っぽくネタにしてみたり、過去作ではどちらか1つの選択をつきつけていたのをに対して、本作では機械との共存だったり、絶対敵だったスミスが助けてくれたりと、決して二択じゃないよ、みたいな過去作へのアンサー的な視点も面白かった。マトリックスの人をいちいちエージェントに返信させるのではなく人間爆弾にさせるあたりとかは怖さもありつつ設定としては痛快でした。
そして本作で実は肝だなと思ったのはネオもトリニティーもほどよい年の取り方をしていること。やはり映画作品である以上外見というのも大事なもので、ほとんど年を取らないと言われるキアヌ・リーブスはもちろん、トリニティ役のキャリー=アン・モスも20年経ったとは思えないたたずまいで、この2人も外見が違っていたらまた映画の方向性も変わっていたんじゃ無いかと思う。
一方アクションは年相応というか、困ったらエルボーで吹っ飛ばすあたりがさすがに年を感じさせるけど、20年前と同じアクションしろというほうが無理だし、個人的にマトリックスの面白さはアクションではなくシナリオだ派なので、そこはさほど気にならず。むしろ年を取ってもあれだけ動けるキアヌとキャリーに加えて、過去作ほど激しい動きをしなくてもきちんとアクションとして成立する殺陣のうまさがすばらしいなと思った。
やたらと日本がフィーチャーされていて、富士山はともかくとして最後のほうに出てくる鳥ロボットが「クジャク」なのもびっくりした。Peacockという英語があるのに敢えてクジャクという単語を使うあたり、監督は相当に日本好きなのかな。