「死んでもあの世なんてのはなくてただ生命が失われるだけ」くらい冷めてる私ですが、墓参りという行為は亡くなった人へ対して行なうのではなく、亡くなった人の思い出を自分たちの胸に改めて刻み込むという意味ではとても意味ある行為だと思っています。
そういう観点からすると、3月11日という日はなんでもないただの1日なんだけど、あの日を思い出して何かを考えるということには1つの価値があるのかな。自分にとって阪神大震災がさほど強い意識を持っていなかったけれど関西の人にとっては重要な事件なのと同様、自分が実際に体験したことへの想いというのはやはり強いもので、3月11日という日が来ると「ああ、もう2年も経ったのか」とつい考えてしまいます。
たまたま知り合いが2年前のツイートを投稿しているのを見て、そういえばTwitterは全投稿をダウンロードできたんだった、と思い出し、過去の発言あさってたらいろいろ当時が思い出されたので、この日だけしかできないエントリーしてみたいと思います。しかしなぜこれタイムゾーンずれちゃってるんだろうか……。
Twitter、全発言ダウンロードを英語以外の12ヵ国語でも提供開始
http://jp.techcrunch.com/archives/20130311twitter-expands-its-archive-function-to-12-more-languages-in-international-engagement-push/
ガルネクの新曲タイトルが「Twitter」だったことに関するニュース。思えばこの後Twitterは今までとは違うライフラインとして活躍するのでした。
わからない人には脳みそとけちゃったんじゃないかみたいな発言ですが、この日は新宿だとわずかに在庫が残っていたdynabook AZの受け取り日だったのですな。Androidをノートパソコンに入れちゃいましたという、ある意味でSurfaceの走りのようなこの端末は実に名機であり迷機でもありました。
震災わずか6分前の発言。dynabook AZのAndroid OSを2.1から2.2へ嬉々としてアップロードしている様子がうかがえます。
タイムゾーンずれててわかりにくいですが、これが震災10分後くらいの発言でしょうか。当時は相当の揺れに「うわー死ぬときって意外とあっさりくるもんだな」と想像以上に死に対して冷静な自分がいたことに驚きました。
なんというか、若いっていいなあって思ったけどたぶんこれ若さとかじゃないな今おもえば。
のちにネットとテレビの融合を深めることにもなったターニングポイント。
この後知人から「池袋で飲んでるけどこない?」というお誘いもいただき、非常時なんてそんなもんかもしれないなとさらに痛感しました。
こんな時でもいちいちソースを疑う自分が改めてアレだなw
そういやこの翌日は我が家で飲み会予定してたんですがこの騒動でお流れに。
震災に関する殺伐とした話しも多かったけど、ニュースだけじゃなくまさに自分の身の回りでもこういうサポートの話しが多く見られたのは心あたたまりました。
当時は勤務地の渋谷から運良くタクシー拾えたんですが、池袋まで2時間くらいかかるという衝撃の混み具合。まあ車で仮眠できて体力回復できただけよかったかな。
軒並み電車が止まる中でも果敢に動いてた都電荒川線マジすごい。
あまりに出かける前と変わらない姿にほっとしつつ「このくらいの震度でも大丈夫なんだ」とその後の余震でも目を覚ましにくくなるという後遺症も発生してしまいました。
実際に大きな衝撃を受けるのはむしろ3月11日より後にやってくる津波の報道や発電所の爆発だったりするのですが、福島や東北に比べれば大きな影響ではないものの、それでも自分が体験した3月11日はきっと何年経っても忘れない1日になりそう。
津波の影響を受けた地域では、過去に津波で被害を受けた人たちが未来に対して「これより低い場所に住んではいけない」と諭したにも関わらず、長い年月を経てそんなことはすっかり忘れ去られ、津波が来たときに逃げられない位置でも人が住み始めた、なんてエピソードもありました。想像を超えた災害であれば仕方ないところもありますが、過去に受けた災害の教訓が生かせなかったのは実に口惜しい。そう考えると1人1人がこの思いを忘れず後生にきちんと伝えていくことも大事なことなのでありましょう。
重ね重ね東北地域に比べれば影響の小さかった東京ではありつつも、被災地も含め当時の思い出をきちんと胸に刻んでおこうと思うのでした。
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